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良い市民でいるということ

こんにちは、Dgoto24です。今回は「良い市民でいること」について考えてみたいと思います。市民というのは、自治体の〇〇市民(例えば埼玉市民)ではなく、citizunの方です。

最近、災害が多く、日常的に心が休まらないニュースを目にしますね。災害が発生すると、人々の間に不安が広がり、「自分だけでも助かりたい」と思う気持ちが強くなることがあります。その結果、個々の行動が自己中心的になりがちです。たとえば、「買い占め」がその一例です。さらに状況が悪化すると、火事場泥棒のような犯罪行為も発生します。平常時には「日本は民度が高い」とよく言われますが、非常時には個人の利益を優先する行動が目立ち、社会全体にとっては好ましくない結果を招くことがあります。

さて、「良い市民でいよう」と思うことは、ほとんどの人にとって自然な感情ですが、今回は少し視点を変え、「社会的ジレンマ」についても考えてみたいと思います。社会的ジレンマとは、個々の最適な行動が結果的に全体に不利益をもたらす状況を指します。

簡単な例を挙げると、歩行者の信号があります。信号待ちをしている間に、自己中心的な行動を取る人が信号を無視して渡ることがあります。この場合、その人は時間の短縮で得をしますが、皆が同じ行動を取れば、信号というシステム自体が崩壊してしまいます。この状況を社会的ジレンマといいます。そして、現在の信号は、各個人が少しの我慢をすることで、機能しているのです。

災害時のペットボトルの天然水の買い占めも、社会的ジレンマの一例です。多くの家庭は災害に備えて水を多く確保したいと考えますが、必要以上に買い占めることで、他の家庭に必要な物資が届かなくなる場合があります。この状況を改善するためには、各家庭が普段から備え、非常時に過剰な行動を取らないことが必要です。

社会的ジレンマは、良い結果にも悪い結果にも帰着することがあります。良い結果の例としては、交通ルールが守られている交差点や、ゴミが落ちていない街、買い物カートが所定の位置に返却されているスーパーの駐車場などが挙げられます。一方で、治安が悪い地域では、信号無視が頻発し、ゴミや落書きが目立ち、スーパーの駐車場は荒れてカートが放置されるといった状況が見られます。これらは、社会的ジレンマが悪い結果に結びついている例です。

社会的ジレンマを解消するためには、個々の市民が自己利益だけでなく、社会全体の利益を考えて行動することが求められます。例えば、交通ルールを守る、公共の場を清潔に保つ、災害時には必要最低限の物資を確保するなど、各個人が少しの我慢や譲り合いをすることで、社会全体がより良くなります。

良い市民でいるということは、表面的な・局所的な意味だけに留まらず、より大きな問題である社会的ジレンマを解消する存在でもあるという意味を持ちます。

 

ここまでは教科書にあるような話ですが、個人的には、マイホームやら終の住処が決まったら、絶対に近所の治安維持活動はしたいと思います。今は、かなり平和な街に住んでいるので、犬の散歩中のゴミ拾いとか、小銭落としたとか重い荷物持ってるとかその辺で困ってる人を助けるとかぐらいしかしてませんけども。(まぁ、逆に大学時代はお金無くて転売とかしちゃってましたが、流石に嗜好品に留めてました。マスクとか生活必需品は命に関わるので。)

というのも、私は高校生までヤンキーや暴走族が沢山住んでいる地域に住んでいて、ガチの地獄だったからです。夜中に騒がれるし、敷地内でたむろされるし、家庭菜園は全部盗られるし、ヤク中(?)が敷地内に入ってくるし、車が家に突っ込んでくるし、、、得意げに歩行者信号を無視とかするイキリ大学生とかがめっちゃ苦手なのも、こういう所からきているんでしょう、、、

二度とあのような地域に住まない(発生させない)ためにも、既に大半の市民がそうだと思いますが、良い市民でいる効果と恩恵を理解し、良い方向に動かそうとする同志が全国各地にもっと増えて欲しいものです。

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